タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼慰霊祭のお知らせ
平成20年6月15日(月)
7月は先の大戦におけるインパール作戦の中止命令が下された月です。
慧燈財団では、タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼式を下記の予定で計画しております。当日は日本の僧侶が供養のために参加されます。
関心がある方はどうぞご来場ください。
【日時】7月13日(月)午前10時ごろより開始
【場所】チェンマイ県メーワン郡
バーンガートウィタヤーコム中高校敷地内
タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼広場
(慧燈財団ホームページ 「追悼の碑・大梵鐘」の中に詳しい地図が掲載されておりますのでご参照ください。)
【お問い合わせ】慧燈財団顧問理事 小西 誠
電話:053−124−527
携帯:085−030−1345
Eメール:konishi@thaijp.net
7月は先の大戦におけるインパール作戦の中止命令が下された月です。
慧燈財団では、タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼式を下記の予定で計画しております。当日は日本の僧侶が供養のために参加されます。
関心がある方はどうぞご来場ください。
【日時】7月13日(月)午前10時ごろより開始
【場所】チェンマイ県メーワン郡
バーンガートウィタヤーコム中高校敷地内
タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼広場
(慧燈財団ホームページ 「追悼の碑・大梵鐘」の中に詳しい地図が掲載されておりますのでご参照ください。)
【お問い合わせ】慧燈財団顧問理事 小西 誠
電話:053−124−527
携帯:085−030−1345
Eメール:konishi@thaijp.net
バーンガート中高校の卒業式
3月31日、慧燈財団が建立した『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』が敷地内に建立されている『バーンガートウィタヤーコム中高校』の卒業式に参加してきました。
3年前、私はこの学校に日本語教師として慧燈財団から派遣され、慧燈財団事務局の前任が退職するまで、日本語を教えていました。。(実は私はオーストラリアで日本語教師の資格をとり、オーストラリアで非常勤の日本語講師として海外就職デビューしてから紆余曲折を経て今日に至ります。)私が受け持ったクラスは1クラス約40名のクラスを2クラス、2学年を受け持ちました。ちなみに私が赴任してから日本語学科は、この学校の正規の授業として採用されることになり、現在も日本語の授業が行なわれています。
3年前、和服で正装し朝礼台に立って学生達に自己紹介をしたのが、つい最近の出来事のようにも思えますが、まだあどけなさの残る当時高校1年生だった彼らも、今では、私より背が高くなっている生徒達もいて、時の経過を感じずにはいられません。
彼らにとって初めて身近に接触する日本人となった私は、日本国の名に恥じないよう、誠心誠意こころを込めて日本語・日本の歴史・文化・習慣を伝えました。またそれ以上に私自身、彼らからタイの文化や習慣などを教えてもらったのでした。彼らと過ごした1年半は私にとってかけがえのない一生の思い出です。
彼らの卒業を心から祝福するとともに、この学校で学んだことを社会で活かし、これからもがんばってほしいと思います。
卒業式の会場。日本でいうところの体育館みたいな建物。 向かって左側が国王陛下の御写真、右側が女王陛下の御写真

教え子達1

教え子達2

壇上左手にはタイ国旗・仏式の祭壇・国王陛下の御写真が掲げられている。タイでは、公的な行事などを行なう場合、必ず上記の3つを揃えている。

今年からこの学校に赴任した新校長 ウィライワン校長先生より卒業生にはなむけの言葉が贈られる。

卒業証書の授与

日本語学科を首席で卒業するニパポンさんより、先生へ感謝の言葉が述べられる。

北部タイの卒業式では、教員一同が卒業生の手首に今後の発展を願い、木綿の糸を巻くならわしがある。

あなたが幸せでありますように。あなたの悩み苦しみがなくなりますように。あなたの願う事が叶えられますように。あなたに悟りの光が顕れますように。

教え子と記念撮影1

教え子と記念撮影2

先生達と記念撮影1

先生達と記念撮影2

日本語忘れんなよ!

3年前、私はこの学校に日本語教師として慧燈財団から派遣され、慧燈財団事務局の前任が退職するまで、日本語を教えていました。。(実は私はオーストラリアで日本語教師の資格をとり、オーストラリアで非常勤の日本語講師として海外就職デビューしてから紆余曲折を経て今日に至ります。)私が受け持ったクラスは1クラス約40名のクラスを2クラス、2学年を受け持ちました。ちなみに私が赴任してから日本語学科は、この学校の正規の授業として採用されることになり、現在も日本語の授業が行なわれています。
3年前、和服で正装し朝礼台に立って学生達に自己紹介をしたのが、つい最近の出来事のようにも思えますが、まだあどけなさの残る当時高校1年生だった彼らも、今では、私より背が高くなっている生徒達もいて、時の経過を感じずにはいられません。
彼らにとって初めて身近に接触する日本人となった私は、日本国の名に恥じないよう、誠心誠意こころを込めて日本語・日本の歴史・文化・習慣を伝えました。またそれ以上に私自身、彼らからタイの文化や習慣などを教えてもらったのでした。彼らと過ごした1年半は私にとってかけがえのない一生の思い出です。
彼らの卒業を心から祝福するとともに、この学校で学んだことを社会で活かし、これからもがんばってほしいと思います。
卒業式の会場。日本でいうところの体育館みたいな建物。 向かって左側が国王陛下の御写真、右側が女王陛下の御写真

教え子達1

教え子達2

壇上左手にはタイ国旗・仏式の祭壇・国王陛下の御写真が掲げられている。タイでは、公的な行事などを行なう場合、必ず上記の3つを揃えている。

今年からこの学校に赴任した新校長 ウィライワン校長先生より卒業生にはなむけの言葉が贈られる。

卒業証書の授与

日本語学科を首席で卒業するニパポンさんより、先生へ感謝の言葉が述べられる。

北部タイの卒業式では、教員一同が卒業生の手首に今後の発展を願い、木綿の糸を巻くならわしがある。

あなたが幸せでありますように。あなたの悩み苦しみがなくなりますように。あなたの願う事が叶えられますように。あなたに悟りの光が顕れますように。

教え子と記念撮影1

教え子と記念撮影2

先生達と記念撮影1

先生達と記念撮影2

日本語忘れんなよ!

北部タイ日本語教師会 第4回定例会に通訳として参加しました。
3月7日(土)チェンマイ市内のファーイースタン大学で行なわれた北部タイ日本語教師会 第4回定例会に通訳として参加しました。
今回のテーマは『教師と学生による実践日本語授業』でした。正規の科目として日本語学科を開講している北部タイの高校から2校と大学から2校、それぞれの学校の教師と学生がテーマに沿った発表をされました。私の役目はその発表を日本語に訳すことです。詳しい内容は北部タイ日本語教師会のホームページからご覧になれます。
また来年度からは、私も北部タイ日本語教師会の運営委員として名を連ね、北タイの日本語教育界を微力ながらお手伝いすることになりました。
チェンマイ ナワミン高校の発表 『漢字の覚え方』

チェンマイ ラチャパット大学の発表 『観光日本語』

チェンマイ ユパラート高校の発表 『体験で学ぶ〜日本との交流活動を通して〜』

チェンマイ大学の発表 『インターネットを用いた日本の大学との自文化紹介交流活動』

会場の風景

只今通訳中

記念写真

今回のテーマは『教師と学生による実践日本語授業』でした。正規の科目として日本語学科を開講している北部タイの高校から2校と大学から2校、それぞれの学校の教師と学生がテーマに沿った発表をされました。私の役目はその発表を日本語に訳すことです。詳しい内容は北部タイ日本語教師会のホームページからご覧になれます。
また来年度からは、私も北部タイ日本語教師会の運営委員として名を連ね、北タイの日本語教育界を微力ながらお手伝いすることになりました。
チェンマイ ナワミン高校の発表 『漢字の覚え方』

チェンマイ ラチャパット大学の発表 『観光日本語』

チェンマイ ユパラート高校の発表 『体験で学ぶ〜日本との交流活動を通して〜』

チェンマイ大学の発表 『インターネットを用いた日本の大学との自文化紹介交流活動』

会場の風景

只今通訳中

記念写真

第2回 桜の植樹祭
先の大戦中、北部タイで亡くなった戦没者の慰霊と桜の植樹のために『戦没者慰霊植樹 桜会』の皆様が2月22日から25日にかけて来タイされました。私も桜会に同行し、23日はメーホンソーン県クンユアム郡にある『タイ日本友好記念館(旧日本軍博物館)』の敷地内において桜の植樹をお手伝い致しました。そして25日には、チェンマイ県メーワン郡バーンガート中高校内に建立されている『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』の敷地内で桜会主催によって行なわれた慰霊祭と日本の桜の植樹に同席いたしました。当日はチェンマイ在住の邦人有志の方達も慰霊祭と植樹の話をきいて駆けつけてくださりました。
植樹していただいた桜の木は、今はまだか細い苗木でありますが、将来萬朶の桜となって、この地に眠る英霊の方々を慰撫せんことを願わずにはおられません。
今年で2回目となる桜会主催の慰霊祭と桜の植樹は滞りなく終了いたしました。また来年も皆様にお会いできることを心より祈念し、この場をお借りして桜会代表 大西様をはじめ、当日『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』にお越しくださった皆様方に厚く御礼申し上げます。
メーホンソーン県市内とメーホンソーン県クンユアム郡のちょうど中間地点にある『日本兵士鎮魂の塔』 下車し皆で慰霊塔を清める。

メーホンソーン県クンユアム郡戦争博物館の敷地内に植えた桜に水をあげる、桜会の代表 大西さん

戦争博物館の真向かいにあるムアイトゥ寺の境内に建立されている『ビルマ戦線将兵鎮魂の碑』を皆で清める。

ムアイトゥ寺の同境内に建立にされている『日本軍将兵遺骨埋葬の地』と書かれた碑を清め、戦没者のご冥福を祈る。

大東亜戦争中、ムアイトゥ寺には日本軍の野戦病院が設営されていた。写真に写っている二本の木柱は、当時野戦病院の柱に使われていたもの。

平成17年にメーホンソーン県クンユアム郡トーぺー寺敷地内に慧燈財団が建立した『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』を掃き清め、戦没者のご冥福を祈る。

2月25日 桜会による慰霊祭 (チェンマイ県メーワン郡バーンガート中高校敷地内『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』にて)

慰霊祭の様子

『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』の前で記念撮影。

桜の植樹 1 お揃いの黄色いシャツを着ているのは関東と東北から来た桜会の方達。

桜の植樹 2 白いシャツで揃えているのは、大阪からいらした桜会の方達。

桜の植樹を通して、違世代間の交流や他県との交流が芽生える。

植樹していただいた桜の木は、今はまだか細い苗木でありますが、将来萬朶の桜となって、この地に眠る英霊の方々を慰撫せんことを願わずにはおられません。
今年で2回目となる桜会主催の慰霊祭と桜の植樹は滞りなく終了いたしました。また来年も皆様にお会いできることを心より祈念し、この場をお借りして桜会代表 大西様をはじめ、当日『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』にお越しくださった皆様方に厚く御礼申し上げます。
メーホンソーン県市内とメーホンソーン県クンユアム郡のちょうど中間地点にある『日本兵士鎮魂の塔』 下車し皆で慰霊塔を清める。

メーホンソーン県クンユアム郡戦争博物館の敷地内に植えた桜に水をあげる、桜会の代表 大西さん

戦争博物館の真向かいにあるムアイトゥ寺の境内に建立されている『ビルマ戦線将兵鎮魂の碑』を皆で清める。

ムアイトゥ寺の同境内に建立にされている『日本軍将兵遺骨埋葬の地』と書かれた碑を清め、戦没者のご冥福を祈る。

大東亜戦争中、ムアイトゥ寺には日本軍の野戦病院が設営されていた。写真に写っている二本の木柱は、当時野戦病院の柱に使われていたもの。

平成17年にメーホンソーン県クンユアム郡トーぺー寺敷地内に慧燈財団が建立した『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』を掃き清め、戦没者のご冥福を祈る。

2月25日 桜会による慰霊祭 (チェンマイ県メーワン郡バーンガート中高校敷地内『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』にて)

慰霊祭の様子

『タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑』の前で記念撮影。

桜の植樹 1 お揃いの黄色いシャツを着ているのは関東と東北から来た桜会の方達。

桜の植樹 2 白いシャツで揃えているのは、大阪からいらした桜会の方達。

桜の植樹を通して、違世代間の交流や他県との交流が芽生える。

慧燈財団の留学生支援制度対象者が日本に向けて出発しました。
平成7年から始まった、慧燈財団の留学生支援制度で、これまでタイの学生14名が日本の短期大学または大学に留学し卒業しました。
今夜、15人目となるピタポン チューチョークチャイ君がタイ国チェンマイ県から日本に向けて出発しました。
今月26日に九州龍谷短期大学(佐賀県)で行なわれる試験に合格すれば、4月から聴講生として一年間短大に通うことが出来ます。そして次の年、同短期大学の本科試験に合格すれば、晴れて本科生と成り、それから2年間短大生として日本で勉強を続けることになります。
まずは最初の難関である26日の試験に彼が合格することを願うばかりです。
ピタポン君

ピタポン君と彼の母校バーンガートウィタヤーコム中高校で教務主任を務めていらっしゃるソンポン先生。先生は、「タイ人の誇りを持って、タイ国の名を汚すことのない様、日本に行っても一生懸命がんばりなさい。」とはなむけの言葉を送っていました。

ピタポン君を見送りに来た彼のご家族と親戚の方々

涙の別れ

ご両親に今まで育ててくれたご恩を感謝するピタポン君。

今夜、15人目となるピタポン チューチョークチャイ君がタイ国チェンマイ県から日本に向けて出発しました。
今月26日に九州龍谷短期大学(佐賀県)で行なわれる試験に合格すれば、4月から聴講生として一年間短大に通うことが出来ます。そして次の年、同短期大学の本科試験に合格すれば、晴れて本科生と成り、それから2年間短大生として日本で勉強を続けることになります。
まずは最初の難関である26日の試験に彼が合格することを願うばかりです。
ピタポン君

ピタポン君と彼の母校バーンガートウィタヤーコム中高校で教務主任を務めていらっしゃるソンポン先生。先生は、「タイ人の誇りを持って、タイ国の名を汚すことのない様、日本に行っても一生懸命がんばりなさい。」とはなむけの言葉を送っていました。

ピタポン君を見送りに来た彼のご家族と親戚の方々

涙の別れ

ご両親に今まで育ててくれたご恩を感謝するピタポン君。







